大坂夏の陣で、豊臣方武将として活躍した薄田隼人正兼相(すすきだはやとのしょうかねすけ)の墓と供養塔が誉田史跡公園にある。「道明寺合戦」の際、誉田八幡宮付近に陣を構えていたが、濃霧のため後藤又兵衛・真田幸村・毛利勝永軍と合流できず、10万の徳川軍に撃破されて討死にしたという。薄田兼相は豊臣秀吉・秀頼に仕えた武将で、後に岩見重太郎として伝説化されたほどの剛勇の士である。この墓地は、明治18年、兼相の子孫にあたる広島藩主の浅野家一族によって建立され、1996年(平成8年)には、市の有形文化財に指定されている。
大阪府羽曳野市誉田7丁目679
(1)近鉄南大阪線「道明寺駅」から徒歩で
敷地面積:150平方m
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