河内源氏の祖であり、鎌倉幕府を築いた源頼朝(みなもとのよりとも)を子孫とする、源頼信(よりのぶ)ら3人が眠る墓。河内国司として現羽曳野市壺井に居を構え、時の摂政関白・藤原道長に仕えた頼信、そして平安時代後期の前九年の役や後三年の役で活躍し、武将としての地位を築いた頼信の子・頼義(よりよし)とその孫・義家(よしいえ/後に八幡太郎と号されている)は、その後「河内源氏三代」と呼ばれるようになり、地元では現在も様々な逸話が語られている。通法寺は、長久4年(1043)に頼信と子の頼義がともに氏寺として創建した寺で、南北朝時代などの兵火で焼失し、その後再建されたものの、明治時代に廃寺となった。現在は、その跡が国の史跡に指定されている。3人の墓はその跡地付近に、それぞれ別々に残されている。「写真提供・羽曳野市教育委員会」
大阪府羽曳野市通法寺
(1)近鉄南大阪線「上ノ太子駅」より徒歩約20分
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