天智9年(670)に創建され、天竺(現インド)から来た法道上人が開山したと伝えられる法道寺。創建当時は、鉢峰山閑谷院長福寺(はちがみねさんかんこくいんちょうふくじ)と号し、子院を49も持つ大寺院だった。「鉢ヶ峯」の地名の由来は、法道上人が大切にしていた鉢を、このあたりの山に埋めたということから名づけられたもので、寺の名称「法道寺」は、徳川の8代将軍吉宗の嫡男が「長福丸」と名づけられたので、「長福寺」から改名したといわれている。境内にある多宝塔は、南北朝時代の中頃に建てられた建物で、上層に施された鯱(シャチ)の彫物や亀腹の上に蛙股を配置することなどは、大変珍しいとされる。鎌倉時代に建てられた食堂(じきどう)は、僧侶が法会の際に食事などを行った場所で、傾きがゆるやかな屋根や柱上の簡素な組みものなどは、奈良時代以降に日本で展開した建築様式の特徴をもつ。現存する食堂としては、全国的にもまれで大変貴重なもの。ともに、国の重要文化財。ほかに、寺宝も多くあるそうだ。
大阪府堺市南区鉢ヶ峯寺401
(1)泉北高速鉄道「泉ケ丘駅」下車
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