生野区にある御勝山古墳は、もとは南北約112m/東西約55m/高さ約8mの前方後円墳で、古墳時代中期の5世紀前半につくられたと推定される。円形埴輪や土師器、須恵器なども出土し、市内では茶臼山古墳(天王寺区)、帝塚山古墳(住吉区)と並ぶ重要な史跡だ。中臣(藤原)氏の祖である大小橋命(おおおばせのみこと)の墓だといわれているが、定かではない。同地域は江戸時代初期までは「岡山」と呼ばれていたが、大坂の冬の陣で徳川秀忠の陣所となり、夏の陣で豊臣氏に勝利した際に戦勝の宴を開いたことから「御勝山」(おかちやま)と呼ばれるようになったとか。現在では古墳の前方部は道路(勝山通)と勝山南公園に整備され、後円部を残すのみとなっている。
大阪府大阪市生野区勝山北4丁目
(1)市バス「生野区役所前」下車東約200m
-
-