国指定史跡。大永6年(1526)三好氏の重臣安宅治興が三熊山上に築城、その子冬康は羽柴秀吉に降り、仙石秀久、ついで脇坂安治が居城した。安治は大いに拡張して天守閣などを築いた。寛永19年(1642)蜂須賀氏のとき山頂の城を廃し、その臣稲田氏が麓に館を築いた。現在、裁判所付近に石塁などが残る。山頂の模擬天守閣は昭和3年の築造で、模擬、復興、復元天守閣の中では日本最古のものです。◎脇坂安治(1554-1626)東浅井郡小谷村生れ。賎ケ嶽合戦の七本槍の一人。のち洲本七万石の城主。関ケ原役の途中から東軍に内応、伊予大洲五万三千石の城主。
兵庫県洲本市小路谷
(1)洲本バスセンターから車で
時代:1526年
備考:無料
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