関ケ原合戦後の西国大名の監視と大阪城の包囲作戦の拠点として、慶長14年(1609)、徳川家康が藤堂高虎に繩張りを命じ、池田輝政以下有力な外様大名20家を動員して築かせた天下普請の城。豪荘な高石垣と、それをとりまく外堀と馬出しは、遺構を完全にとどめている。城跡の西堀に沿った通りの裏に続く御徒士町には茅葺き入母屋造り・曲り家の旧武家屋敷が江戸時代の雰囲気をそのままに伝えている。
兵庫県篠山市西新町95
(1)JR福知山線篠山口駅からバスで(神姫グリーンバスにて篠山営業所行き「二階町」下車、徒歩15分)
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