南北朝の初期、摂津の守護職赤松範資が、摂津国(兵庫県)の南朝勢を京都から守るために築城したとみられている。その後は幾多の合戦場となり、なかでも羽柴秀吉と明智光秀の山崎の合戦は有名。合戦後秀吉は山頂を中に城を築城。天正11年(1583)柴田勝家を討ってのち、大坂築城までの足掛かりとした。一角に古城という地があり、土塁や空堀、井戸、門跡を残している。
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字古城
(1)山崎駅/徒歩/60分・阪急大山崎駅/徒歩/60分
時代:1582
備考:無料
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