南北朝時代,吉野方に味方した越智氏の支城の一つであったが,戦国時代に入ると,大和郡山城を居城とする筒井順慶が,郡山城の詰の城として本格的城郭に改めた。さらに豊臣秀長が郡山城主となると,新しい縄張によって築城したと伝えられる。元和元年(1615)の「一国一城令」によって多くの城が破却されたが,重要な山城が例外的に破却をまぬがれた。高取城もその一つ。現在石塁が残るだけ。◎筒井順慶(1549-84)筒井生れ。興福寺の官符衆徒(僧兵の隊長格)順昭の子。松永久秀失脚のあと信長から大和を与えられ郡山城主となる。洞ケ峠の日和見武士の汚名は有名。
奈良県高市郡高取町高取
(1)近鉄壺阪山駅からバスで(壷阪寺前行バス終点下車)
壷阪寺前から徒歩で
時代:南北朝
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