古事記によると雄略天皇4年(460)、天皇が小牟漏岳で狩りをされ、御呉床に座っていると、虻が天皇の御腕を喰った。その瞬間蜻蛉(とんぼ)が飛んできて、その虻をくわえて飛び去った。天皇は、蜻蛉をほめて御歌を詠み、この地を蜻蛉野(あきづの)と名づけた。み吉の袁牟漏が嶽に猪鹿伏すと誰れそ大前に秦すやすみしし我が大君の猪鹿待つと呉床に坐し、白栲の衣手著そなふ手腓に虻かきつき、その虻を蜻蛉早咋ひかくの如名に負はむとそらみつ倭の國を蜻蛉島とふ、日本書紀にもこのことが記されています。小牟漏岳に続く山上に神武天皇が上小野の榛原、下小野榛原と名づけて皇祖天神を祀った「鳥見霊畤跡」があります。
奈良県吉野郡東吉野村小
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