奈良時代前期の皇親政治家。壬申の乱で活躍した高市皇子の長子で、藤原不比等死後は左大臣として国政を執る。高市皇子の莫大な遺産を継承したことが律令制推進の大きな障壁となり、藤原氏より讒言を受け政治的に排除されたと考えられる。『続日本紀』には夫人とともに生駒山に葬られたとあるが、平群梨本村に二人の墓があるとの近世の伝承を元に現在地が墓所にされている。王を慕う平群人が勢力圏に回葬して葬った可能性もある。墓は直径15mの円墳。[宮内庁管理]
奈良県生駒郡平群町梨本
(1)近鉄平群駅から徒歩で
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