紀州藩祖徳川頼宣が築かせた里程標で、和歌山城京橋を起点として丁度一里の距離に設けられています。元和5(1619)年和歌山の城主として徳川頼宣が入国すると,城廓の規模を拡張し,城下町の整備にとりかかったが、その時当時上方街道であったこの道路を整備し、嘉家作りの町から八軒家にいたる道の両側に松並木をつくり、一里塚を築いた。藩主が参勤交代で江戸に赴く時、藩士たちはここまで来て一行を見送り、また帰国の時もここで出迎えた。一里塚が設けられた地点については知ることができても、塚の状態で保存されているものはきわめて少なく、近世交通遺跡として貴重な存在である。
和歌山県和歌山市新在家125
(1)南海和歌山市駅からバスで(「四箇郷」下車すぐ)
時代:江戸初期
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