紀伊吐前(はんざき)城主・津田監物が建て、監物の法号である光恩居士から光恩の部分を取って寺名としたといわれています。初代住職の信誉上人は松平家の出身であり、紀州藩祖徳川頼宣に学問を教えた学識高い人です。入ってすぐ右にあるのが庫裡で、和歌山城の現存遺構として昭和46年(1971年)1月9日に和歌山市指定文化財(建造物)に指定されました。和歌山城の建造物で戦争で焼かれずに残っているのは和歌山城内の岡口門とこの庫裏だけで、築後400年を経ても今なお頑強そのものです。
和歌山県和歌山市大垣内663
(1)布施屋駅から徒歩で
(2)阪和自動車道和歌山ICから車で
建築年代1:1951年(天正15年)
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