報恩寺(ほうおんじ)は広大な座禅堂と五百羅漢(ごひゃくらかん)で藩政時代から有名。石川啄木がまだ盛岡中学の学生だったころ、この北山一帯の風光をこよなく愛し、級友とよく散策したといわれる。(詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」は報恩寺をうたった。)また、宮沢賢治は盛岡高等農林学校時代に報恩寺で参禅している。五百羅漢は報恩寺の羅漢堂に納められた尊像で、499体が現存。胎内の墨書銘から、1731年(享保16)、報恩寺代17世和尚が、大願主として造立、4年後に完成した。尊像は京都で9人の仏師によって製作され、盛岡に運んだ輸送用の箱は台座として再利用された。五百羅漢の五百という数字は、多数という意味で、それぞれの尊者に名はなく、服装からは印度・西域・支那の僧の風貌・容姿が連想され、マルコ・ポーロやフビライ・ハンの像もある。五百羅漢の現存は全国で50例ほど確認されているが、木彫りで499体が現存し、造立年代、尊像の製作者まで明確に知り得るのは、全国的にもまれな例といえる。昭和41年に盛岡市の文化財に指定された。
岩手県盛岡市名須川町31-5
(1)盛岡駅からバスで
北山下車から徒歩で
創建年代:1601
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