築城の時期については定かでないが、平清盛の重臣で備中国妹尾郷を本貫地とした妹尾氏一族の居館地に始まり、戦国時代には備北の三村氏の持城となったこともある。中国征覇の毛利氏にとって備前宇喜多氏に対する境目城として重要な城であり、城主として毛利氏の上山兵庫介、植民部大輔が在城している。天正10年(1582)羽柴秀吉により落城している。板倉氏二万石の陣屋として明治維新に及んだ。
岡山県岡山市北区撫川
(1)庭瀬駅から徒歩で5分
時代:1559
備考:無料
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