鞆の浦は,古くから「潮待ちの港」として栄えたところで,古い土壁のつづく路地や情緒ある家並,昔の土蔵などがそのまま残っている。江戸時代には、朝鮮通信使が景色を「日東第一形勝」(朝鮮より東で一番美しい景勝地)と称賛しました。幕末には、坂本龍馬が乗船した「いろは丸」が紀州藩の軍艦「明光丸」と鞆の浦沖で衝突し、坂本龍馬と龍馬率いる海援隊が鞆の浦に上陸し賠償交渉を行いました。当時、坂本龍馬が隠れ潜んだ部屋も公開されています。
広島県福山市鞆町
(1)福山駅からバスで
規模:延長/300m
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