富田の地を最初に城地としたのは平景清という。尼子氏が守護代としてこの地を領して以来,勢力を拡大した。経久のとき、守護代の地位を一時追われたが、経久は奇襲によって城を奪い返し、以来、戦国大名として一代の間に飛躍的に版図を拡大した。尼子氏滅亡後は毛利氏の有に帰したが,関ケ原合戦後,堀尾氏入封によって、富田城は廃城となった。平成5年より整備に着手し通路や石垣及び建物等を復原している。◎尼子経久(1458-1541)出雲国守護代清定の子。戦国大名。一時富田城を追われたが劇的な奇襲戦で奪回。因幡以西の山陰諸国を攻略。山陽にも入って11州の大守と呼ばれ尼子家の全盛期をつくる。◎山中鹿介(1546-1578))広瀬町生れ。落日の尼子家家臣として富田落城にあう。諸国を巡り、尼子再興に執念を燃やし不屈の挑戦。望みを達せず34歳で命を終えた悲運の武将。
島根県安来市広瀬町富田
(1)安来駅からバスで
徒歩で
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