石見銀山開発初期は、銀山から積出港鞆ケ浦(現在の仁摩町)までを結んだ街道であり、毛利氏が石見国を平定した後は、沖泊(現在の温泉津町)に積出港を移した。銀鉱石や製錬銀のみならず様々な物資を運搬するのに活躍した街道である。後には尾道(広島県)まで続く尾道道が主流となった。
島根県大田市
(1)温泉津駅から徒歩で
規模:長さ/10km
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