この城を築いた益田兼高は,源平合戦に功があって石見の押領使に任命された。御神本兼高の変名である。六代の兼時は,元寇の役の時,石見海岸の警備をし,十一代兼見は,足利尊氏に属して大内弘直を討った。関ケ原の合戦後,廃城となり,大手門(医光寺総門)・古井戸・土塁を残すだけである。
島根県益田市七尾町
(1)益田駅からバスで
時代:鎌倉〜室町後期
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