伊予国の水軍村上義弘の子孫、義顕が応永26年(1419)に能島をそのまま利用して築いた海城。長男雅房が入城、以後能島村上水軍の本拠となり、厳島の合戦、元寇の役などに出陣し活躍したが、秀吉の四国平定後、廃城となる。今は船溜り跡の石塁や波打ち際に残る柱の穴に往時を偲ぶにすぎない。桜の名所。
愛媛県今治市宮窪町
(1)宮窪港から船で(通常渡船なし。4月上旬にある桜祭りの2日間のみ渡船あり。)
時代:南北朝時代
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