664(天智天皇3)年百済の白村江で、唐・新羅の連合軍に大敗した日本が、翌年、本土防衛のために築いたもの。四王寺山麓から御笠川をまたぎ、吉松山までの大堤が残るが、現在ではその中央部を九州自動車道や鉄道線が貫く。土塁の外側には大規模な堀割と土塁の下をくぐる木樋があり、単なる土塁ではなかったといわれる。
福岡県太宰府市吉松・(大野城市)
(1)水城駅から徒歩で
時代:664
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