山伏の修験道場として栄えた英彦山権現(英彦山神宮)は、盛時には僧坊3,800余が建ち並んで門前の集落をつくっていた。明治29年には126戸を記録した坊舎も、現在は顕揚坊、楞厳坊など10数軒を残すだけ。この坊舎の中には、雪舟荘(旧亀石坊)などのように旅館に衣がえしたところもある。昭和49年3月に坊家住宅(坊舎)を保存する意味から、財蔵坊の廃屋が復元された。かつての坊舎は、それぞれに工夫された庭園がついていた。
福岡県田川郡添田町
(1)彦山駅からバスで
規模:延長1km
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