寺伝によると白莖年間(650〜654)草野太郎常門が、豊後国串川山中(現日田市)で霊示をうけ、榧の大木で千手観音像を彫らせ、これを祀ったのが始まりといい、天智天皇より、庄田75町と「観興寺」の勅額を賜りました。草野永平が、土佐将監光信に描かせたという「絹本著色観興寺縁起」(重要文化財)があります。
福岡県久留米市山本町耳納2129
(1)JR/西鉄久留米駅からバスで(「山本」下車、徒歩10分)
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