寛保3年(1743)医家の長男として生まれた南冥は、医学を山脇東洋の高弟に学んで帰国。21歳で朝鮮通信使と詩文の応接をなし世人を瞠目させた。天明4年(1784)藩校甘棠館(カントウカン)の創設に伴い館長に迎えられ、幾多の人材を育成した。浄満寺(地行2丁目)境内に一門の墓があり、県指定史跡となっている。国宝金印「漢委奴国宝」発見に際し、鋳つぶし論者をしりぞけ、金印を守ったことでも有名。
福岡県福岡市中央区地行
(1)福岡駅/西鉄バスのりかえ/今川橋停留所/徒歩/3分
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