承応3年(1654)、武蔵の養子小笠原藩家老職宮本伊織が建てたものである。最初は手向山に建立されたが、明治20年砲台を築くとき延命寺山上に移され、戦後、再び手向山に移された。碑文は兵法の達人宮本武蔵の剣歴を記述したもので、二刀流を編みだす工夫、吉岡一門との数回にわたる死闘、舟島における巌流佐々木小次郎との決戦までの試合の状況を述べ、剣聖・宮本武蔵を賛えている。
福岡県北九州市小倉北区手向山公園
(1)小倉駅からバスで10分
徒歩で20分
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