宝亀元年(770)肥後を治めていた桧前中納言政丸により、日羅の子孫加津羅家に伝えられていた仏像(現本尊)を日羅の墓印として、地蔵堂を建立したのが始まりと伝えられている。日羅は、葦北国造阿利斯登の子で、百済で生まれ、達率という高位の役人となり、敏達天皇の要請により、日本に帰国したが帰路暗殺され、葦北に葬られたと日本書紀に記されている。墓所は不明。本地蔵堂境内に日羅公の碑がある。
熊本県八代市坂本町百済来下
(1)肥後二見駅からバスで
創建年代:770
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