天草尚種のとき、永禄年間(1558〜69)に天草島の入口、いまの市役所裏の山に築かれた。天正17年(1589)、加藤、小西の連合軍に攻められた城主の天草種元は、南蛮づくりの甲冑の上に聖衣を着、奮戦し討死。また寛永14年(1637)の島原の乱では、唐津藩の代官が居城していたが、一揆軍に攻められ敗死。
熊本県天草市船之尾町
(1)三角駅からバスで
時代:1573〜1592
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