日出藩11代藩主木下俊懋が菩提寺である松屋寺の住職に頼んで、処刑罪人の冥福を祈るため、供養塔を建立した。この塔の下に、法華経69,384文字を1字1個の小石に書いて埋めてあるといわれる。成敗場がこのような形で残されているのは全国でも珍しいといわれる。処刑された人の中には、当時家老職にあった加賀山半左衛門とその子ディエゴ(当時5歳)もいた。加賀山半左衛門は、キリシタンであり再三改宗を迫られたが、受け入れずに家老職を追放され死刑宣告を受けた。執行の当日、息子ディエゴは、父とともに殉教したいと泣き叫んだ。父は息子の決心が堅いことを知り、共にこの成敗所で殉教したと伝えられている。現在、この成敗場跡地の隣に「日出殉教公園」が整備されている。
大分県速見郡日出町豊岡長野
(1)暘谷駅から車で
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