大友宗麟が永禄年間に精舎を建立し、これを「西方寺」と号したが、参詣の便宜を図るため対岸の掛町まで大きな橋を架けたので、「大橋寺」と呼ばれるようになったと言われる。高麗門が珍しく、大友宗麟の夫人の墓がある。
大分県臼杵市福良平清水115
(1)臼杵駅からバスで
創建年代:1548
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