島津義久は、慶長9年(1604年)隼人の富隈城から舞鶴城に移り、慶長16年に79歳で死去するまで在城した。舞鶴城は山城の南麓に造営され、平時は軍事・行政が執行されるが、戦時になると城山(隼人城)に立て籠もるという方法がとられた。
鹿児島県霧島市国分中央2-5-1国分小学校
(1)国分駅から徒歩で
時代:1600年頃
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