鉄幹の父は僧侶で明治14年加治木の説教所(性応寺)へ転居。9歳の鉄幹も父に従い1年余りを過ごした。その頃、鉄幹が黒川の山から、たぶの木をとって植えたのが現在では巨木となっている。昭和57年、その近くに夫妻の歌碑が彫刻家法元六郎氏により製作され建設された。鉄幹はのちにこの木と再会した喜びをうたったもので鉄幹「老の身の相見て嬉しをさなくて加治木の寺に植ゑしたぶの木」晶子は加治木の五老峰をうたった晶子「加治木なる五つの峰の波形の女めくこそあはれなりけり」の二首。
鹿児島県姶良市加治木町朝日町187
(1)加治木ICから車で
JR加治木駅から徒歩で
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