文之和尚は禅僧で名は玄昌、日向国南郷外浦に住んでいたので南浦と号した。島津義久・義弘・家久に仕えて島津家の政治・外交に活躍。朱子学に秀で、漢籍の訓点を施し後世まで「文之点」として日本儒学を発展させた。また、鉄砲伝来の様子を資料や伝承によりまとめた「鉄炮記」も記している。
鹿児島県姶良市反土安国寺墓地内
(1)加治木駅から徒歩で
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