薩摩藩の家老であった比志島国隆は、島津家久の怒りをかって種子島の横山に流罪になった。妾であった千代女は国隆を追い渡島し再会したが、島津氏に知れ、国隆に切腹が命ぜられ、千代女は殉死を申し出た。国隆は千代女ののどを突き刺して自分も割腹した。横山の人々は2人の死に同情して、墓の上に櫨の木を植えて印となし、満徳寺境内に供養石を建て、命日の7/7(旧暦)に盆踊りを催してその霊を祭っている。
鹿児島県西之表市上西横山
(1)西之表港からバスで
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