沖縄本島最南の喜屋武岬にある第62師団管下の部隊は、喜屋武の複廓陣地において、進行を続け米軍に対して第五の迎撃を続けたが、昭和20年6月20日、喜屋武部落周辺で全滅した。昭和27年10月、地元民は部落内やその周辺海岸に散在する将兵並びに住民の遺骨1万余柱を収集して、名城ビーチの西海岸に納め、平和の塔を設立、さらに昭和44年3月、(財)沖縄協会の助成を得て、現在の場所に改修移転した。
沖縄県糸満市字喜屋武1156-2
(1)那覇バスターミナルからバスで(喜屋武(きゃん)集落広場の「喜屋武」バス停より約2km。案内板あり)
管理者:沖縄県遺族連合会
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