沖縄県が琉球国と呼ばれていた1372年、沖縄中部地域の王として公式に初めて中国明朝と外交を開いた人が郷土の偉人「察度(さっと)」です。彼は「清泉「森の川」で出会った貧しい奥間大親と天女の間に生まれた高貴な人物とされ、その田畑には金銀が溢れ、黄金宮と呼ばれる楼閣に住んでいたと伝えられています。
沖縄県宜野湾市真志喜1-24-1
(1)那覇バスターミナルからバスで
真志喜バス停から徒歩で
建築年:1725年
備考:無料
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