太平洋戦争末期、波照間島住民1590名が強制疎開させられ、多くの人がマラリアで亡くなった。当時国民学校の校長で、多くの生徒を亡くした、識名信升氏が戦時中に砂岩に刻み、平成4年に立てられた。悲しい歴史が残した爪痕を胸に刻んでおこう。ガイドは平田さんに。干潮・満潮時を調べてから行こう。
沖縄県竹富町南風見田の浜
(1)大原湾より豊原方面へ車10分
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あり(無料)6台