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荒天の中、みかんを積んだ船を下津港から船出させたと伝えられており、その勇気ある文左衛門をしのんで碑が建てられた。
一壷とは田地の坪付の第一の坪から出てきている
御幸記に記されている
後白河法皇御幸の時当社に旅寝した
御幸記にところ坂王子とある
平安から鎌倉にかけての時代、「蟻の熊野詣」と表現されるくらい、熊野三山へお参りする信仰がさかんでした。上皇や女院をはじめ、多くの熊野詣の人々が、難行苦行しながら歩いた道はいくつかありますが、ここ海南市においてのメインルートは、松坂王子から汐見峠、松代王子や祓戸王子を経て藤白神社に至り、そこから藤白坂を越え橘本王子、一壷王子を経て有田市にいたるコースが知られています。いわゆる「小栗街道」(熊野古道)がこのルートにあたります。
延慶4年(1311年)の造営で単層・入母屋造・向拝2間・本瓦葺で正面5間・側面5間。全体に穏やかな感じで、外観は和様を主とし内部に唐様を用い、それがみごとに調和している。国宝である。
建保2年(1214年)の創建で、数々の伽藍を備えていたと伝えるが現存するのはこの釈迦堂だけである。正面3間・側面3間・寄棟造で屋根は一重裳階付の唐様仏殿で総本瓦葺。国宝である。境内自由。
本堂の右手にある。鎌倉時代造営の3間多宝塔・本瓦葺で1重と2重の釣りあいがとれ、外観内部とともに和様、須弥壇が唐様で細部の透かし彫が優美。国宝である。
嘉慶2年(1388年)の造営で3間1戸の楼門で屋根付入母屋造・本瓦葺の形態のよく整ったこの時代の代表的な楼門の一つ。仁王像は、寺伝によると弘安9年(1286年)湛慶作となっている。国宝である。