臼杵城跡
大分県臼杵市大字臼杵91番地
丹生島城・巨亀城とも呼ばれる。築城当時は丹生島と呼ばれる孤島上の城郭で、周囲の海が天然の要塞となり、堅固な守りを誇っていた。キリシタン大名として有名な大友宗麟の居城であっただけに、石垣にはアルファベットの様な文字が刻まれ、城内には礼拝所が、城下にはノビシャドと呼ばれるキリシタンの修練所があったという。大友氏の滅亡後、江戸時代には稲葉氏の居城として修築が重ねられ、一時は34の櫓・三層四階の天守台があったと伝えられる。現在は2つの櫓と書院の庭園の一部、石垣などを残すだけで、丹生島も埋め立てによって陸続きとなっている。サクラの名所としても有名。◎大友宗麟(1530-87)豊後大友氏二十一代の大名。一時、九州の北6カ国を支配。キリシタン大名としても有名。臼杵で洗礼を受け、ドン・フランシスコという。◎大友吉統(1558-1605)豊後大友氏最後の大名(二十二代)。秀吉の朝鮮出兵で、3番手の黒田長政の指揮下に入る。退却を急いで隊を乱し、文禄2年、秀吉に国を奪われ幽閉の身となる。