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建物・銅板葺唐破風附看板」は古い城下町の面影を残している。
古代の皇室の遊猟地があったところ。軽皇子のお伴でこの地を訪れた柿本人麻呂が残した秀歌“ひむがしの野にかぎろひの立つ見えて…”の歌碑が立っている。
平成7年度に発掘された中之庄遺跡を保存する為に遺跡公園として整備。園内には復原された遺構や万葉植物等を栽培。
本堂には藤原時代後期作の重要文化財,木造薬師如来像と鎌倉時代末期作の阿弥陀如来座像があり,本堂前の十三重石塔は,室町時代初期のものとみられ,重要文化財の指定を受けている。要予約
織田家4代の菩提寺。
大正時代末期まで演能された能舞台が現存する。
大宇陀町の中心地松山は古来,阿貴(あき)と呼ばれ,中世末期に形成された小城下町である。現在でも町は旧態をよくとどめており,江戸時代末期から明治にかけての町家もかなり遺存している。なお,町の入口には旧城門のひとつ,松山西口関門(史跡指定)があって城下町らしさを伝えている。
文字どおり風車に似た淡紫色の大型の花で5月上旬,8萼片の花をつけるカザグルマは,九州や四国の南部などではまれに自生するが,ふつう見るのはほとんど庭園栽培されたもの。ここのように広範囲に群生し,自生の状態がよいのは珍しい。