平城宮跡
奈良県奈良市佐紀町
和銅3年(710)に元明天皇によって藤原宮より遷都し,延暦3年(784)長岡に都が移るまで,首都として日本の政治・経済・文化の中心地になっていた平城宮は,東西1.25km,約125haの広大な原っぱとしてかつての栄華の面影を留めている。唐の長安をモデルにして造ったといわれる平城京は,囲りに高い土塀と堀をめぐらし,大路を碁盤の目のように整然と配列した中に,大極殿・内裏・朝堂院・東院・官庁街などを配したものだった。この大規模な都城建設のために,諸国から役夫が集められたが,それらの役夫は雨の日以外は休みなしに働かされたため逃亡する者も多く,また,労役の期間が終わって帰郷する途中に餓死する者も少なからずいたと伝えられている。遺構展示館・平城宮跡資料館や,平成10年に復原が終了した朱雀門,東院庭園があり見学できる。世界遺産「古都奈良の文化財」の8資産群のうちのひとつ。