全日本の観光地へ
牡鹿半島の折浜より船で5分の場所で網おこしの体験学習ができます。所要時間は1〜2時間、10〜15名で参加・見学可能です。料金は参加者全員の保険代込で3万円です。
周辺にフィールドアスレチックやハイキングコースが整備されている。
約62haという広大な敷地に遊歩道、アスレチック施設などを整備。高低差8mの人工芝の斜面をソリで滑る「ちびっ子ゲレンデ」や長さ80mのローラー滑り台を中心に、高さ14mの展望台、バーベキューハウスなどもある。
地引き網漁の体験のほか、魚の名前調など小5・6年対象。所要時間は4時間で募集人数は100人(要予約)。
江戸時代初期、牡鹿郡流留村の菊地与惣右衛門が、下総の行徳塩田の技術を導入して開拓した塩田。領内での塩の自給自足を目指した仙台藩の4か所の入浜式塩田中、最大のもの。
享和元年(1800)に禅昌寺境内から発掘された古碑で、蝦夷征伐の折、伊寺水門で戦死した将軍、上毛野田道に関するものである。この碑は、塩釜神社の神官だった藤塚式部が作ったものと言われている。
新発田藩士久米幸太郎は、父の仇敵滝沢休右衛門を苦労の末に探しあて、安政4年(1857)、牡鹿郡祝田浜において討ち果たした。文化14年(1817)の事件発生から41年目、史上2番目に長い仇討ち。
明治41年釧路から海路上京する途中、荻浜港に寄港の折、“港町とろろとなきて輪を描く鳶を壓せる潮曇りかな”と読んだ歌碑が、生誕90周年を記念して建立されている。
北上川河道改修工事の後、仙台藩が設けた藩倉の跡。正保2年(1645)現在の住吉地区北東部一帯に大規模な倉を建設し、江戸廻米用の米を集積。宝暦3年(1753)の記録には、18棟の穀倉があったとされている。