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故毛利総七郎が、庶民の生活や文化を後世に伝えようと、各方面から様々な資料を収集したもの。考古学・工芸・民俗・歴史等、幅広い分野に渡っており、特に沼津貝塚や石巻鋳銭場に関する資料など、地方史研究のうえで、重要な役割を果たしたものが少なくない。現在は石巻文化センターにおいて、常設展示室で一部を展示しているほか、年一回特別展を開催し公開している。
近世の石巻住吉地区の米蔵蔵守、毛利家の旧家。現存する建物は幕末に建築。裳階(もこし)風の屋根や平書院造りの客間が特徴。二階座敷は、榎本武揚艦隊の宿舎として利用された。
旧北上川西岸に面し、延喜式内社大島神社を中心とした公園である。源義経が船賃の代わりに片袖をちぎって船頭に与えたと伝えられる、歌枕「袖の渡り」の地としても知られている。北上川を挟んで対岸の町並、山々、内海橋から河口付近の風景を眺めることができる景勝地。石巻の地名の由来のひとつと言われている「巻石」も、この公園の川岸にある。
片桐且元の孫栄存を祀る。
蝦夷征討のため、石巻にきて戦死した田道将軍の碑が伝えられている。また、寛政5年(1793)11月末に石巻を出帆し、塩谷岬沖で暴風雨のため遭難しアリューシャン列島に漂着した石巻の千石船「若宮丸」の遭難供養碑がある。
後醍醐天皇の第1皇子で、鎌倉で暗殺された護良親王を祀る。この護良親王が、実は石巻に逃れたという伝説があり、周囲には「二条橋」、「隠里山」など、親王にちなんだ地名が多く見られる。
坂上田村麻呂が蝦夷征服後、東奥鎮護のため聖観音を祀った霊場。奥州三観音の1つの牧山観音を祀る。
県無形文化財の牡鹿法印神楽で知られる。延喜式神名帳に掲載された式内社で、いわゆる「牡鹿十座」の筆頭に記載されている大社である。拝殿は、鷲峰山長禅寺の御堂であった。内部には、万治元年(1658)及び延宝2年(1674)に奉納された大絵馬や長禅寺の山号である「鷲峰山」の扁額(いずれも石巻市指定文化財)がある。
市内に現存する代表的な「蔵家造り」の建物。重い建物を支えるための基礎や土台、土戸を建てこんだ溝、厚い塗り土の上の置屋根など、随所に商品を火災から守るための工夫が凝らされている。
日本初の運河専門館。国内外のあらゆる運河情報を映像やコンピューターで分かりやすく解説。展望スペースは、旧北上川を見渡しながらくつろげる開放的な空間となっている。