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備後南部では数少い4世紀代の前方後円墳である。出土遺物には,県重文の三角縁神獣鏡と短冊形鉄斧がある。
弥生時代後期の集落遺跡である。出土した土器は「神谷川式土器」と呼ばれ広島県東部の土器研究の指標となっている。
十字塚とも呼ばれる7世紀後半の終末期古墳である。主体部には,花崗岩の切石を組合わせた横口式石槨を3基配置する。国内で他に例のない古墳である。
山脈の高峰にあり,山頂を2段に削平した本丸をめぐる石垣が残存し,山裾に向かって14・5段の郭を配した要害堅固な山城である。毛利氏が,東方(豊臣方)を意識して築城したものである。
細石器を中心とする旧石器時代から押型文土器など縄文時代早期の遺物が出土した遺跡
江戸時代,参勤交代の大名,幕府役人等の宿泊所。県内唯一の完全な形で残る本陣施設。
古墳時代も終わりに近い7世紀の前半に築かれた、直径14m、高さ約5mの円墳で石室の長さ約11.3m幅、高さとも約2mの規模。
「黄葉夕陽村舎」という名称で創設された朱子学者・菅茶山の私塾。
神辺の町並みを見下ろす黄葉山山頂に位置する。中世の典型的な山城で,曲輪や石垣などの遺構が残る。近くに福山市神辺歴史民俗資料館が所在する。
県内最古の弥生時代の環濠集落。