全日本の観光地へ
昭和30年5月建立。“囀の拙なけれどひたすらに”
毎年1月27日に近い日曜日に「雨情忌」がある。昭和32年11月建立。“くきの海辺の船もよい船も帆がなきゃ行かれないおともについたくまわにが山で帆柱きりましたその時きった帆柱は帆柱山の杉でした”「帆柱山の歌」。
昭和43年12月建立。“玉ちはふ神し照らせば世の中の人のまごころかくれやはする”
昭和37年6月建立。“夜の眺め昼のながめも大八幡”
“心太(ところてん)山の緑にすすりけり”清原枴童は大正期、福岡で発刊された俳句誌「木犀」の主宰者である。
北九州にゆかりの万葉の六首歌が刻まれている。大きな本碑には史料に基づき略解、校本の万葉仮名をそのまま拡大して刻み、副碑には漢字かな混じり文で現代の読みかたに彫ってあり、自然を歌った歌が恋歌になっているのがおもしろい。
昭和46年11月建立。童話作家、民謡詩人の故阿南哲朗氏の小笠原音頭の一節が刻まれている。“企救の高浜根上り松よ馬とおかごもゆるりとな海辺眺めてゆるりとな”石碑には窓があけられ、その窓から企救の高浜(砂津から大里一帯の海岸)を眺められるように工夫されている。窓のある石碑は全国でも珍しく、童話作家であり、民謡詩人の阿南哲朗氏の童心を象徴したものといえるであろう。
句碑の内容「三山の高嶺つたひや紅葉狩」。昭和54年11月11日建立。