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本尊の三満虚空蔵菩薩は行基作と伝えられ,金色まばゆい巨大な大黒像は開運福授の神として有名。
徳川家康が長男信康の霊を弔い建立した寺、二俣城跡の尾根つづきにあり,本堂には徳川信康公の位牌が祀られ,境内には信康廟が建立されている。また、門前には二俣城水の手攻め名残りの井戸櫓が復元されている。
創築不詳だが、文明6年(1474)には今川氏の属城になっていて、二俣、松井氏が在城。永録11年(1568)徳川家康が遠江に侵攻して奪い、中根正照が入城するが、元亀3年(1572)武田信玄に攻められて降伏、依田信守・信蕃父子が入城する。天正3年(1575)徳川家康が奪還して大久保忠世が入城する。同18年、家康の関東移封とともに忠世は小田原城に移り、以後、廃城となった。
5世紀中期頃のものと推定される前方後円墳。長さ82m・後円部の直径42m・高さ8m・前端部の巾55mあり、西遠地方における最大規模の完形古墳。
元正天皇の詔勅により、僧行基が開いた古刹。昭和6年の失火により焼失、現在石垣を残すのみ。
天竜川のダムのうち最も下流に位置し、天竜川上流にある発電及び農業用用水のダム。1門の大きさが高さが15.3m・幅20mの世界最大級の出水ゲートが9門もある大規模なもの。
染井吉野約1,000本
阿多古川の支流にあり,青谷鍾乳洞などへ続くハイキングコースがある。
光明寺跡・石垣や石段が残っている
食事・物産販売。