犀ケ崖古戦場碑
静岡県浜松市中区布橋一丁目、鹿谷町582
元亀3年(1572)12月、武田信玄と徳川家康は三方原台地で対陣し、激戦が繰りひろげられたが、武運つたなく敗れた徳川勢は命からがら浜松城に敗走した。武田勢は家康の敗軍を迫って犀ケ崖に夜営した。徳川勢は一矢報いようと、鉄砲隊など100余名で、武田の夜営地に夜襲をかけた。虚を突かれた武田勢は周章狼狽し、地理不案内のため、人馬もろとも崖下に転落し、多数の戦死者を出した。三方原合戦の一幕、犀ケ崖の戦いの跡である。この地は、浜松城の北1km、布橋1丁目にあって、長さ2km、深さ40m、幅50mの断崖で、草むした兵どもの夢の跡である。崖の渕に「岩角に兜くだけて椿かな」の大島蓼太の句碑が建っている。