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室町期に京都から法華宗を伝えたため法難にあい、砂に埋められて殺された僧日典に由来の古寺。
薩摩藩の家老であった比志島国隆は、島津家久の怒りをかって種子島の横山に流罪になった。妾であった千代女は国隆を追い渡島し再会したが、島津氏に知れ、国隆に切腹が命ぜられ、千代女は殉死を申し出た。国隆は千代女ののどを突き刺して自分も割腹した。横山の人々は2人の死に同情して、墓の上に櫨の木を植えて印となし、満徳寺境内に供養石を建て、命日の7/7(旧暦)に盆踊りを催してその霊を祭っている。
浦田神社境内で尊が初めてこの上から稲の種子を蒔いたと伝えられている御種子蒔石がある。浦田は、種子島の国造りの始まり。また我が国の稲作発祥の地とも言われている。
朝鮮系登り窯である能野焼は素朴で、砂鉄を含み重厚。
数千万年前に堆積した熊毛層群の地層面に波の痕が残っているもの。
西之表の西海岸で,敷石したような自然石が広がる。
西之表の市街地を一望に見渡せる。