全日本の観光地へ
眼下に伊関集落を見下ろすことのできる峠にさしかかる。これが木折坂で、昔は島主の休憩所もあったという。
種子島の北端で,本土・大隅半島を一望できる。(灯台有)
市内最高峰の黒石岳の森林を中心として整備されたレクリエーション施設
公園内に延長500mの石畳の川あり
観覧車,ゴーカートその他遊具あり
島津義久は、慶長9年(1604年)隼人の富隈城から舞鶴城に移り、慶長16年に79歳で死去するまで在城した。舞鶴城は山城の南麓に造営され、平時は軍事・行政が執行されるが、戦時になると城山(隼人城)に立て籠もるという方法がとられた。
北には霧島連山、南には桜島と錦江湾を望む台地に約9500年前の国内で最大・最古級の遺跡が発見されました。
奈良時代の聖武天皇は、天平13年に国家の鎮護と五穀豊穣を祈って、国ごとに僧寺と尼寺の建立を命ずる勅令を出した。大隅国分寺もその一つである。現在は六重の石塔一基などが残っている。
観光
「未来を展望する塔」をイメージした