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旧志波姫町出身の自由民権運動家。五日市憲法草案起草者。
江戸時代の中頃、仙台のお春という娘が諸国巡礼の途中病死した。恋仲の覚興という若者は嘆き悲しんで出家し、石地蔵を建立し供養した。地蔵はお春によく似ており里人はお春地蔵と呼んだ。安産・子育地蔵として信仰されている。
直径10mの大水車「ヨッ日本一!」を中心に桜・コブシ・キンモクセイなどが植栽されています。遠くに栗駒山を望み、水車の音を聞きながら四季の変化を楽しめます。
木花開耶姫命を祀る延喜式神明帳栗原七座の内の大社で、坂上田村麻呂東征の際、武運長久、五穀豊穣を祈願した。本殿は素木造、一間社流れ造り、目板葺で江戸時代初期の寺社様式を伝えている町名ゆかりの神社である。
与平と権内は5人組の組頭であったが、無実の罪によって元禄12年磔の刑に処せられたところ。興福寺内に権内の墓碑建立。
葛西の臣沼田氏の居館跡。中世の館跡としては、大規模でよく原形を留めている。
坂上田村麻呂ゆかりの松(代木)。昔坂上田村麻呂が蝦夷東征の時、物見の兵を置いたところと伝えられている。
奈良時代末期から平安時代の大農耕集落跡。昭和59年に竪穴住居が復元された。
当時の集落の首長クラスの墳墓と考えられる。「ムラ」の出現を示す。現在東北自動車道の下に1基保存されている。
安永7年(1778)書上風土記にも名木と記されている。