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大湫町と日吉町の境に位置する美濃国中で最も高い峠(標高約540m)で、周辺には往時の面影を残す道標、石仏や一里塚も現存し、峠開削時のノミ跡を有する岩などがある。
東濃に執権北条氏の姻戚として出生し、後醍醐天皇の勅命に応じて足利尊氏とともに六波羅探題を討ち、鎌倉幕府滅亡に功をあげる。また建武の新政に不満をおぼえた尊氏が挙兵するとこれに従い、室町幕府より美濃守護を命じられ、「土岐絶えば、足利絶ゆべし」と称された武将。現在の墓は道路を挟み東西に分かれている
東濃に生れて後醍醐天皇の討幕の計画を受けて多治見国長らと京都へ上がったが、幕府側に事前に漏れてしまい、六波羅探題からの襲撃をうけて打ちとられた。京の三条河原(さんじょうかわら)にさらされた首級を、家臣の根竹十郎がうばいとり故郷に逃がれて葬ったのち自刃した。
旗本小里氏の菩提寺です。寺宝に県指定の文化財菅原道真の木像がある。臨済宗妙心寺派の古刹。
領主美濃源氏土岐頼元創建の曹洞宗寺院。山門は開口4.66m、奥行3.5mの大きな桜門。その他県や市の文化財に指定されているものがあります。
旗本馬場氏の菩提寺です。すべて椛の木(ハナノキ)で作られた門は日本唯一です。その他駕籠等数点が文化財に指定されています。
嵯峨天皇の勅願寺として三諦上人が開山。比叡山・高野山と並ぶ三山の1つと伝えられる。しかし、織田信長の比叡山焼き討ちに伴い、同じ天台宗であった櫻堂薬師も焼き討ちにあう。後再建されたが、台風・地震などにより大破。現在の建物は寛文7年(1667年)のもの。明治時代の廃仏毀釈の風潮により荒廃し、現在まで残ったのは薬師堂のみ。建物内には多くの仏像がある。また舞楽面・奉納絵馬も有名。2012年には開基1200年を迎えた。
大湫町権現山・大湫町八瀬沢・日吉町奥之田・日吉町鴨ノ巣の四箇所。瑞浪のように連続した4箇所の一里塚が残っている例は全国的にも稀。
二段に築造されており、円墳としては岐阜県下最大規模。埋葬者は八坂入彦命に関係のある東濃地区一帯に権力をもっていた大豪族であると考えられています。
出格子の家々や脇本陣などが残っている。現在では東海自然歩道に組みこまれている。4対の一里塚が残っている。一部車両の進入が出来ない個所があるが、中山道で一番の難所であった当時の面影が残っている。