全日本の観光地へ
水路を埋め立てた約500mの親水公園地名の巽橋にちなみ、ドラゴン(竜)をイメージした設備にこだわった公園。
「江戸神社仏閣百選」にも選ばれた神田お玉が池の社を御本社として明治4年に遷宮した神社。雅楽の演奏でも有名。当時は、小児の百日ぜきのほか万病に霊験あらたかと繁盛した。現在は、商売繁昌、家内安全、交通安全など広くご利益のある神様として、多くの人々の信仰を集めている。祭神は倉稲魂命。
嘉永年間からおこなわれている「大しめ縄神事」が有名。約8mの大しめ縄を作り、アクマバライといって旧村内をかつぎ回る。巡回後、しめ縄は正面の鳥居にかけられる。かつては、氏子各戸から持ち寄った稲藁を用いたが、稲作もほとんど行われなくなった今日では、材料の稲藁も地元産はごく一部で、多くを千葉県から調達している。
明治2(1869)年、本堂内に日本で最初の公立小学校「小菅県仮学校」が設けられた。また、堂内に安置されている「とげぬき地蔵」は、小菅監獄から罪を終えての帰途、この石地蔵に願をかけると罪(とが)が抜けるというので、いつしか「とがぬき」が「とげぬき」になったと伝えられている。
江戸時代このお寺の本堂で寺小屋が開かれていた、葛飾教育史の一頁をかざる由緒ある寺院。
祭神は猿田彦命。昔は葛西の「客人大権現」と呼ばれ、御神体の一つに男根形の陽石がある。徳川7代将軍生母月光院をはじめ大衆や花柳界の崇敬が篤かった。子授けと花柳病に霊験あらたかとあって、とくに文化文政(1804〜1829)のころ繁盛した。
徳川七代将軍家継の生母月光院ゆかりの寺で、本堂に位牌を安置(非公開)。
親鸞上人の関東遺跡地。上人直筆と伝わる如来画像は寺宝。江戸時代の俳人・鈴木松什の墓もある。『気も散らで暮れに及ぶや蓮の花』
鎌倉幕府創設に尽力した領主葛西三郎清重の創建。古くから伝わる宝篋印塔は、鎌倉時代末期のものと推定され、都下最古の遺物として都の有形文化財に指定された。『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図会』『葛西志』などにも記載され、江戸時代中期にはすでに古碑として著名であった。
この付近から古墳時代後期の埴輪片が多数発見され、南蔵院裏古墳があったことが知られている。古墳の出土品は、区登録有形文化財に指定され、人物埴輪は「東京大学総合研究博物館」に保管されており、葛飾区郷土と天文の博物館ではレプリカを展示公開している。